公開会社法の論理学
藤末健三さんの「株主の行き過ぎた権限を抑制する」という記事に対して、池田信夫さんが「マイクロソフトは「株主を保護しない企業」か」と噛み付いた記事に対して、小倉秀夫さんが「「非AでもB」という実例の存在は「AならばB」という命題の反証たり得ない」と噛み付いています。これは論理学の題材として面白いので、ちょっとやってみましょう。
まず、藤末さんの議論は次のような認識が背景にあると考えられます。
「株主保護が強ければ配当性向が高くなり、株主保護が弱ければ配当性向が低くなるため、配当性向が高くなっていると言うことは株主保護が強くなっているということの証拠となり得る。」
これを論理式で書きなおすと次のようになります。
命題: ∀x (A(x) ⇒ B(x)) ∧ (¬A(x) ⇒ ¬B(x)) ≡ ∀x A(x) ⇔ B(x) A(x) = xの株主保護が強い B(x) = xの配当性向が高い
池田さんの議論では、「∀x A(x) ⇒ B(x)」の方を否定しようとして、反例を挙げます。正しい反例は次のような形式になります。
反例: ∃x ¬(A(x) ⇒ B(x)) 「A(x) ∧ ¬B(x)」となる例を1つ見つければよい。
池田さんの挙げた反例は、
「たとえばマイクロソフトは、創業以来28年間、配当しなかった。マイクロソフトは「株主を保護しない企業」なのでしょうか?」
でした。これは論理式で書きなおすと次のようになります。
反例: A(a) ∧ ¬B(a) ただし、a = マイクロソフト A(a) = マイクロソフトの株主保護が強い ¬B(a) = マイクロソフトの配当性向が低い
これは、反例としては正しい形式になっています。
これに対して、小倉さんは、次のように批判します。
これが言いがかりに近い話であることは誰の目にも明らかでしょう。「甲という事実がある以上乙という事実がある蓋然性が高い」という推論は、「甲ではないが乙であるものがある」という事実によっては覆されないということは、少なくとも法学系の人間の間ではよく知らています(例えば、心臓をナイフのようなもので一突きされた死体のそばで血の滴り落ちているナイフを持っている人がいたらその人がその殺人の犯人である蓋然性が高いと推論されますが、そこで、猟銃を使って殺人を犯した人物の名前を出して「◯◯は血だらけのナイフなんか持っていなかった。では◯◯は殺人犯ではないというのか」など言って上記推論を否定しにかかる人がいたら、私達はむしろその人の精神状態を心配してあげることになるかもしれません。ただ、経済学では、通常の論理法則とは異なる論理法則が通用しているのかもしれませんが。)
括弧内の例を論理式で書きなおすと次のようになります。
命題: ∀x A(x) ⇒ B(x) A(x) = xが、心臓をナイフのようなもので一突きされた死体のそばで、血の滴り落ちているナイフを持っている B(x) = xが、殺人の犯人である
反例は次のようになります。
反例: ∃x ¬(A(x) ⇒ B(x)) 「A(x) ∧ ¬B(x)」となる例を1つ見つければよい。
ここで小倉さんが無効だと言っている反例は、次のようになります。
無効な反例: ¬A(a) ∧ B(a) ただし、a = 猟銃を使って殺人を犯した人 ¬A(a) = 猟銃を使って殺人を犯した人は、心臓をナイフのようなもので一突きされた死体のそばで、血の滴り落ちているナイフを持っていない B(a) = 猟銃を使って殺人を犯した人は、殺人の犯人である
というわけで、やはり反例としては正しい形式にはなっていませんでした。
小倉さんは何を間違ってしまったのかというのは、読者の方への宿題でいいでしょうか。